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執筆者の写真岳野 縁多

母が亡くなりました。

母が亡くなりました。

享年73歳



幼稚園の教師を40年続け、教育委員会や校長への道も断わり、一介の教師として子供と触れ合い続ける道を選んだ母でした。


私が子供だった時、母は仕事も家事も育児もすべてこなしていました。私はそれが母親というものだと思っていましたが、こうして大人になってみると、それがいかに偉大な事か、ものすごい方だったのかと思い知りました。


まさにスーパーウーマンでした。


優秀で手のかからない弟と違い、私は最後の最後まで迷惑と苦労をかけ、それでも最後の最後まで私を愛してくれました。


母はいつも「あんたたちの世話にはならない」と豪語していましたが、癌を患い、歩くこともままならなくなった時、私と弟はついにその時が来たと長い介護の日々を覚悟しました。しかし、母はほんの数日で燃え尽きるように逝ってしまいました。


命の仕舞い方も含め、人生の先輩として尊敬しかありません。



私の今のセーフティネットシェアハウスという活動事業を通して、70名の青年たちを見ていると、「彼らと私は似ている」と感じます。落ち着きが無く、わがままで、誘惑に弱く、嫌な事があるとすぐ投げ出してしまう。


私と同じ。


でも私とは、何が違ったんだろう。


そう、それは「母の愛」でした。


私はどんなに迷惑をかけても愛し続けてくれた母がいたのでした。私は母に人生を救われました。そして愛してくれる人の存在によって自分を大切な存在と感じ、自分の人生を大切に生きることができました。


今、私が彼らを家族同然に面倒をみていくことができるのは 母の愛 のおかげなのです。


その母親が11/26 亡くなりました。


最期の3日間、たくさんのお話をすることができました。


たくさん迷惑をかけた私が今は人様の役に立って生きている事

命を助けたたくさんの青年たちと家族のように生きている事


母は喜んでくれました。

安心してくれました。


本当に伝えることができて良かった。



お母さん、ありがとう。

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